Takashimaya archives おかげにて ,高島屋 180年の歩み。

象のいる百貨店
戦後復興を遂げていく中、各百貨店は集客のためのアイデアを日々画策していました。
そのひとつとして、1950(昭和25)年、東京 日本橋店屋上に登場した子象は、一大センセーションを巻き起こしました。
タイ国から買い受けた子象は「高子ちゃん」と名付けられ、公開前に屋上までクレーンで吊り上げられたことが話題を呼び、初日には約17万人が押し寄せました。
4年後、上野動物園に引き取られるまで、こどもたちの人気の的となり、アメリカの雑誌に「象のいる百貨店」と紹介されました。
バラの包装紙(初期)
包装紙のデザインにバラを採用。「バラ」マークは高島屋のシンボルに。
1952(昭和27)年「四季を問わず、その美しさで多くの人々に慕われ、昔から美のシンボルとされる。そのようなイメージがお客様に愛される百貨店にふさわしい」ことから、「バラ」が髙島屋のイメージフラワーとなり、包装紙のデザインに採用しました。 その後、1980(昭和55)年には、創業150年記念に洋画家高岡徳太郎(元高島屋宣伝部所属)による「モダンローズ」を原画として。2007(平成19)年には新宿店改装記念に、マイセン製陶額のデザイン「イングリッシュローズ」を原画とした包装紙に刷新し、現在も使用しています。

第1回「北海道の物産と観光展」開催。(大阪店)

戦後日本で初めての外国催であるイタリアンフェアを各店で開催。
ニューヨーク5番街に日本の百貨店として初の海外店舗
「ニューヨーク高島屋」をオープン。

外国人デザイナーとの契約として、日本で初めてフランス人デザイナー、ピエールカルダンとライセンス契約を結ぶ。

横浜店の開店
横浜店のある横浜駅西口一帯は、当時「横浜駅の裏口」といわれ、戦後約10年間放置されていました。
この空き地を相模鉄道が入手、百貨店を中心としたビルを計画し、高島屋は1953(昭和28)年出店の申し入れを受けて開設を決定。
地元の要請もあり、別会社として1957(昭和32)年、(株)横浜高島屋を設立しました。(現在は(株)高島屋横浜店)これは新百貨店法制定後初の申請でした。
1959(昭和34)年10月に完成オープン。その後増築を重ね、現在の形となりました。
聖歌隊ローズちゃん
1959(昭和34)年秋、洋画家高岡徳太郎(元高島屋宣伝部所属)の発案により、クリスマスセールの装飾用のマスコット人形として誕生したローズちゃん(当時はハッピーちゃん)。ローズちゃんとしてのキャラクターを持ち出したのは昭和37年の聖歌隊ローズちゃんが最初です。 基本形は「頭でっかちで大きな出っ尻」(原型:彫刻家遠藤湘吉氏)。その後、歳時記に合わせたローズちゃんや各店のご当地ローズちゃん、ご案内係の制服を着たローズちゃんなどが誕生しました。
玉川高島屋S・Cの開店
1969(昭和44)年、百貨店と専門店が同居するという、かつてないコンセプトで23,700㎡の駐車スペースと、ボーリング場施設をもつ国内初の「本格的米国型のショッピングセンター」(以下S・C)としてオープンしました。
1950年代ごろまで、玉川周辺は郊外というより、まだ田畑が広がる場所でしたが、当時、道路や高級住宅地の整備が計画されていました。
車社会を先取りし、新興住宅地を取り込んだ玉川高島屋S・C店は、今日興隆するその後の日本のS・Cの先駆け、手本となりました。
日本万国博とカルダンのショー
1970(昭和45)年、日本万国博覧会が大阪の千里丘陵で開催され、高島屋は「みどり館」と「日本民藝館」の両館に共同出展で参加しました。
高島屋は当時パリで最も人気のあったデザイナー、ピエール・カルダンと専属契約(1959年)しており、博覧会場の水上ステージではファッションショーを開催し、話題となりました。
また、迎賓館、政府館をはじめ、各国パビリオンの内装にも携わりました。
岡山店の開店
1973(昭和48)年5月19日、岡山店がグループ11番目の店舗として誕生しました。東京・日本橋店の増築も担当した建築家村野藤吾氏による設計です。開店時には開店記念オリジナルソングとして「初めまして」(歌:シモンズ)を使用。
当時まだ珍しかったフレンチや本格中華などのレストランを備えた都市型百貨店としてオープン。
2010年には両備ホールディングスと資本提携しました。