ピュリッツァー賞カメラマンが戦場で見つめた悲しみと希望。

写真家 PHOTOGRAPHER KYOICHI SAWADA 沢田教一展 -その視線の先に 1.「安全への逃避」(1965年9月)※1966年度ピュリッツァー賞※第9回世界報道写真展大賞 2.市街戦の痕跡が残るフエで(1968年4月)Getty Images

タカシマヤ各店の開催スケジュール

  • 8月16日[水]→28日[月]日本橋高島屋 8階ホール

※会期・会場・営業時間等変更になる場合があります。

  • 入場料(税込) 一般 800円大学・高校生 600円 中学生以下無料 ※本展は、「障害者手帳」をご掲示いただいたご本人様、ならびに、ご同伴者1名様は入場無料とさせていただきます。
  • 入場料割引券はこちら クリックまたは2次元コードの読み取りで100円引きの割引券としてご利用いただけます。※割引はWEBクーポンをご提示のご本人様及び、ご同伴の1名様まで対象。お一人様につき1回限り。※他の優待券および割引券との併用はできません。

PHOTOGRAPHER KYOICHI SAWADA

  • 1965年からベトナム戦争で米軍に同行取材し、最前線で激しい戦闘や兵士の表情などを数多く写真に収めた写真家、沢田教一(1936-70)。輝かしい実績を残し、「安全への逃避」でピュリッツァー賞を獲得しています。沢田の写真に通底するのは、優しい眼差し。疲れ果てた名もなき兵士はうずくまり、家を追われた罪なき市民は荷物を抱え、故郷・青森の貧しい漁民には寒風が吹きすさぶ・・・・・、しかし皆、かすかな希望を頼りに強く懸命に日々を生きていました。その「希望」こそ、沢田が追い続けた被写体だったのではないでしょうか。妻・サタさんをはじめ関係者の証言を紡ぎながら、34歳で殉職した沢田の業績をたどります。 「安全への逃避」で世界報道写真展大賞 受賞時の沢田教一
  • 故郷・青森への思い、妻・サタとの出会い 三沢基地の写真店で、のちに妻となるサタと出会った沢田。ふるさと青森の原風景をカメラに収めながら腕をみがき、東京へ、世界へ、思いを広げていきます。 青森の集落で(撮影年月不明) 妻・サタをモデルに(撮影年月不明)
  • ベトナム戦争、その最前線で 「どこの戦場にも必ず沢田がいる」。ジャーナリスト仲間が感嘆するほど、常に沢田は最前線でシャッターを切りました。そして「安全への逃避」でピュリッツァー賞を獲得、瞬く間に一流写真家の仲間入りを果たします。 ベトナム・フエでの市街戦(1968年2月)
  • 疲弊する兵士、傷つく市民 激しい戦闘のさなかでも、沢田の眼は被写体に寄り添っていました。疲れ果てた兵士や嘆き悲しむ市民の心の声を切り取ることが、戦争を報じることの核心だったのです。 戦死者を搬出する米兵(1967年5月)
  • 平和を愛し、未来を見つめる 「平和になったベトナムをゆっくり 撮影旅行したい。」そう願っていた沢田は、行く先々で懸命に生きる市民や子供たちの笑顔を写しました。戦場カメラマンと呼ばれるのを嫌がった「写真家・沢田教一」のまなざしの先にあったものは。 子供たちの無邪気な笑顔(撮影年月不明)

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